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“海のない町にビーチサッカーを”
岐阜県でビーチサッカーの普及のため活動するクラブチームがある。
その名も“エラシカ岐阜ビーチサッカークラブ”(以下、エラシカ岐阜BS)
同チームは2017年に発足、2019年東海ビーチサッカーリーグ参戦、2020年4月に法人格を取得した。そんなエラシカ岐阜BSを設立、代表兼プレイヤーとしてチームをまとめているのが鹿島元気選手だ。
今回、鹿島さんにインタビューして、これまで紆余曲折を経て、進んできたエラシカ岐阜BSについてとこれからの展望について話を伺った。
代表鹿島元気氏は画像左から3番目。
※画像提供:エラシカ岐阜BS
本業の仕事を持ちながら、一家の大黒柱でもある鹿島さんが、ビーチサッカー、そしてエラシカ岐阜BSに掛ける燃えるような熱い情熱を感じられるインタビューとなりました。ひとつひとつの発言に芯が通っていて、なにかワクワクさせるものを感じられ、岐阜の未来が楽しみになります。とくとご覧ください。
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ビーチサッカーと出会う前
ーもともとビーチサッカーを始める前から、サッカーをしていたんですか?
僕の通っていた高校にはサッカー部がありませんでした。元来何事もやれば出来ると思っている性格なので、高校在学中はサッカー部を作ってやろうとずっと思っていました。今思えばそんな簡単な事ではなく、案の定サッカー部はできる訳もなく卒業を迎えるのですが。。。
同時に、高校1年から高校3年まで社会人サッカーチームに所属してプレーいました。高校卒業後、就職にあたってチームは辞め、それからフットサルへの転向を機にフットサルチーム(岐阜県リーグ)に所属しました。
ー他にはどんな学生時代を送っていたんですか?
僕は結構多趣味でいろんな事に興味を持ってしまう性格で、小学生の頃からはボーイスカウトもやっていました、スケートボードに夢中になっていた時期もありました。一つの事だけを夢中になるというより、色んな事に夢中になっていた感じだったと思います。
ーサッカー一本だけで真剣に取り組んできた訳ではないという事ですね。
そうですね。ただもちろんサッカーという競技自体は真面目にやってきましたし、高校の頃に所属した社会人チームでは、働きながら競技を続けるという二刀流の難しさを見て知ることができました。うちのチーム(エラシカ岐阜BS)の選手たちは、サッカー一本でトップレベルで競技を続けてきた選手や海外でプロでやっていた選手が多いので、ぼくはそうゆう点で少し変わってるかもしれません。
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紆余曲折の末立ち上がったエラシカ岐阜BS
ーそんな鹿島さんが、2017年にビーチサッカーに出会い、2018年にチーム設立、2020年4月には法人となって、とても活動が順調にいっていますね。
2017年に、たまたま参加したビーチサッカー大会がとても楽しかったのと準優勝した悔しさもあり、真剣にやってみたいと思ったんです。もともとフットサルチームだったエラシカが、僕自身がビーチサッカーをやりたい衝動が抑えれず、半ば強制的にチームをビーチサッカーチームに変えてしまいました。笑
しかし、やるからには真剣にやりたかったですし、住んでる町岐阜県のより多くの人たちにビーチサッカーという競の存在や楽しさ・可能性を伝えたかったので、運営も競技もプロレベルに近いチーム作りを行おうと一新した形でチームを作りました。
ーもともとフットサルチームのエラシカに所属していたメンバーの皆さんの反応はどうでしたか?
元々フットサルチームのエラシカは遊びの延長線でやっていたチームなので、残ってくれたメンバーもいたんですが、チームの雰囲気も変わり辞めてしまうメンバーがほとんどでした。結果、ぼくと義弟だけが残るような形でチームは始まりました。
練習する会場も1から探しました。岐阜県海津市にあるビーチバレーサンドコートをお願いし使わせて頂き、月に一度ビーチサッカーの体験会を開催ししました。
チラシやSNSを見た人や友人、知人たちが集まり、選手が6,7人集まったことで、2018年は愛知県のビーチサッカーリーグに参戦する事となりました。
上手くいき始めたと思った矢先、社会人ならではの選手の転勤が続いてしまったり、大雨の洪水によって練習場所のサンドコートが流されて使えなくなってしまったりでビーチサッカーチームエラシカの出発は波乱の幕開けでした。
しかし、諦めるつもりは毛頭なかったので、新しい練習場所として愛知県稲沢市祖父江町(岐阜県羽島市の隣)の祖父江砂丘に拠点を移し、練習や活動を再開しました。
ー当初はすごく大変だったんですね。
心強い新メンバーの加入
そんな中2018年の終わりごろに、僕の同級生で一番最初に開催したビーチサッカーの体験会に来てくれた角君(現エラシカ岐阜BSの監督兼選手)が「ビーチサッカーをやってみようかな」って言ってくれたんですね。
角君は昔からトップレベルでサッカーを続けていて、高校は名古屋グランパスユースに所属し卒業後はFC岐阜SECONDというサテライトチームに所属していました。全国の頂点も経験していてトップクラスの選手です。20台半ば過ぎで彼はサッカー引退してしまっていたのですが、彼と一緒にビーチサッカーが出来たら絶対に良い形にできると、勝手な自負があったので角君の言葉は本当にうれしかったです。
彼をもう一度、競技の世界に戻すこと、監督や副代表としてチームに関わってもらう事は容易ではなかったので、角くん自身もとても悩んでくれました。最後は角くんの奥さんにも会って承諾を得えらました笑
ーそんな選手がエラシカ岐阜に入られたのは心強いですね。
はい。彼の経験してきた事はビーチサッカーという競技にも必ず活きると思っていました。言い方が適切かは分かりませんが、サッカーで上手くいかなくても、ビーチサッカーに変わったことで輝ける選手もいると思うんです。
僕はサッカーをやっている子ども達や高校生、大人の競技者にそんな事も伝えていき、ビーチサッカーを競技の選択肢の一つとして持ってもらいたいという目標があります。角くんはこの目標にとても共感してくれて、エラシカ岐阜BSの選手や戦術面を完全に任せることが出来ました。
おかげで選手も増え、僕自身はチームのマネジメントに集中できる事もでき、2019年シーズンには東海BSリーグに参戦、2020年4月には法人格を取得することができました。
ーいいタイミングで物事が進んでいったんですね。
そうですね。でも、正直、いろいろありました。先ほども話しましたが、練習場所のサンドコートが雨で流されたことを筆頭に前向きな事ばかりではありませんでした。
「海がないのにビーチサッカーなんてできる訳ない。」とか「いつまでそんな事言ってるの」とか、ちょっと人からの目線が痛い時期もあったので、少し落ち込んでいた時も会ったのは事実です。。。
※画像提供:エラシカ岐阜BS
ーそんな時でも続けられた原動力はなんだったんですか。
落ち込む時期はとことん落ち込む性格なのですが、角くんが入って仲間が増えた事は僕にとっては1番の原動力でした。単純に選手が増えたという感覚でなくて、仲間が集まったという感覚です。エラシカ岐阜BSのコンセプトに共感してくれたり、チームを好きになってくれたりしてくれてる事が、今もなお一番嬉しいことかなと思います。
ー(それはよかった)以前ブログで拝見したんですが、長野から来ている選手もいるんですね。
はい。いますよ。ただ、コロナ禍になってからは県外の移動を自粛しているので、現時点で所属はしていますが、練習はオンラインでのトレーニングなどで参加して頂いています。
ーそれでも、長野からでも参加したいという選手がいるのはすごいですね。
はい。そういった仲間が増えて、自分ひとりで抱えていたものも角くんや選手のおかげで変わっていき、スポンサーさんやご声援を送ってくださるサポーターの方たちの存在もあり、有難い限りです。ビーチサッカー自体まだまだマイナー競技ですし、岐阜で無名チームであるエラシカ岐阜BSを応援してくれる人たちに必ず恩返しし続けたいという気持ちがあります。(エラシカ岐阜BSのバリューのひとつに”恩返し”がある。)
ビーチサッカー・エラシカ岐阜BSを知ってもらうために
チームをマネジメントする男の苦悩
ーホームページやSNSもかっこいいですね。鹿島さんが手がけているそうなんですが、他に何かされているんですか?
はい。僕はNPO法人エラシカ岐阜ビーチサッカークラブという会社の代表を行いながら、ブランディングデザイン事務所で働いています。このブランディングデザイン事務所も3年前に20代前半から勤めている広告代理店の社内新規事業立ち上げで作りました。
実はこの事業部を立ち上げる前も大変な時期が色々とありました。結婚して、子供が産まれて家も建てて、順風満帆の生活だったんですが、なんだか色々と目標が達成されていく内に、ある時燃え尽き症候群のようになってしまって。。。
昔は人に相談するタイプではなく、ひとりで抱えてしまって、そのタイミングで会社での人間関係も難しい事があったりで、、、ストレスが溜まり肺に穴が開いて、入院してしまったんです。
ーえっ大変でしたね。
はい。なので、その入院期間中に本当に自分はやりたいことをやっているのかな?本当の幸せとか楽しい生活ってなんだろう?と自分を見つめなおしました。
それから退院後に社内での新規事業の立ち上げの話があったり、ビーチサッカーに出会ったりで今の僕があります。
学生の頃もそうだったように、自分の生き方として、ひとつの事だけをやり続けることではなくて、色んな事を真剣にやってはダメなんだろうか?って思いを自分の大事な軸にして、二刀流も三刀流もこなせる事を目標にビーチサッカーもデザインの仕事もやっています。
ー人生にはタイミングがあると思うんですが、鹿島さんにとって重要なタイミングだったんですね。
自分にとっては、2017年の一番落ち込んだ年がキーポイントだったと思いますし、この先そう思えるように頑張りたいです。
ーブランディングデザイン事務所ではどんな仕事をしているんですか?
僕たちは企業やお店のブランド作りをテーマにしたデザイン会社です。
単純にロゴマークやチラシやWEBなどのデザインをするのではなくて、お店や企業の”らしさ”を表現する事を追求して、デザインというクリエイティブを提供しています。僕は全体のプロジェクトの統括をするブランディングディレクターという仕事をしています。
なのでエラシカ岐阜BSというチームもブランディングをしています。
例えばチーム作りで一番最初に行った選手集めに関してですが、「ビーチサッカーやろうよ」ではそう簡単に人は集まりません。“暑そう、えらそう、汚れそう“というマイナスのイメージがビーチサッカー文化のなかった岐阜ではどうしてもあったようで、一番苦労しました。
そこで、「ビーチサッカーやろうよ」ではなく、「エラシカ岐阜BSでビーチサッカーをやりたい」というイメージに変えるために、エラシカ岐阜BSというチームを男目線でカッコよくする事を行いました。それを表現するのがデザインという事です。
今は「岐阜という町に根付くチームに」というテーマがあるので、そのテーマに向かって色んな施策を行っています。リバークリーンプロジェクトやyoutubeチャンネルの開設などはそのテーマに沿った戦略です。ブランディングはこんな感じでフェーズを作り、戦略を立てながら、デザインで表現しつつ、自分たちのコンセプトを守り続ける事です。実際にエラシカ岐阜BSで自分自身ブランディングをしてみてるというイメージですね。
エラシカ岐阜BS ロゴマーク
画像提供:エラシカ岐阜BS
それぞれの役割を全うする
ーYouTubeもとてもかっこいい動画になっていますね。編集なども鹿島さんがやられているんですか?
基本的に戦術や選手のことは監督の角くんに任せているので、プロモーション関係は一人でやっていますね。自分はゼロから1を作り上げることが得意なんです。ブランディングデザイン事務所で担っているブランディングディレクターという仕事もゼロを1にする事が大きな役目でもあります。
その1を2や3、100に増やす人たちは、また別の得意な人たちがやってくれますが、その得意な人たちをまとめながら上手く舵を取るのも僕の役目です。サッカーも一人ではできません。色んな役目の人たちがいて成立するスポーツだと思うので、似ていますね。
鹿島元気を動かす原動力
自分も含めてみんなが楽しめることが重要
ー鹿島さんが仕事や家庭、ビーチサッカーを両立できる原動力ってなんでしょうか?
原動力かは分かりませんが、常に思っている事は、やればもっと”みんなが楽しくなる、幸せになる”ということだけをやろうとしています。ただ、自分だけが楽しくなるという事だったり、ほかの人は楽しめるけど自分は楽しめないとか、どちらかのバランスが崩れることはやらないようにしています。
ーコロナウィルスの影響で、練習などの状況は変わりましたか?
5月の緊急事態宣言のときは休んでいましたが、今は基本的に以前通りの練習(基本毎週土日)をしています。ただ遠征や練習試合は難しくなりました。県外に行くとなると、皆仕事をしながら競技をしているので、職場の環境によって難しいことがあります。
ビーチサッカースクールで描くもの
ービーチサッカースクールの運営もされていますが、やはりそちらの活動も影響を受けていますか?
そうですね。今は子どもたちに向けたビーチサッカースクールもできていません。ぼくたちは、スポーツ少年団やクラブチームの団体の子ども達にビーチサッカートレーニングを教えているんですが、少年団やクラブチームもこのご時世スケジュールが読みづらかったりで今のところ行えていません。
ービーチサッカースクールをやることになった目的はなんでしょうか?
僕たちが、ビーチサッカースクールを運営する目的は二つあります。一つ目は、ハード的な部分です。砂の上で裸足でサッカーをすることでフィジカル・技術面の付き方が(通常のサッカーとは)異なる機会を与えられるということ。二つ目は、小さい頃からビーチサッカーに触れ合うことで、大人になったときの競技選択肢を(サッカーだけでなく)増やすことが目的になっています。
今はコロナの影響で止まってしまっているんですが、岐阜大学の方に協力を頂いてビーチトレーニングの検証を行ってもらっています。
ビーチサッカーというと、砂の上を裸足で走るということで体力が付きそうというのは想像がつくと思うんですが、実際の数値で表せてるデータとしてはなかったんです。それで、ビーチトレーニングをしたときの体力変化のエビデンス(根拠)を取って、子供たち向けにトレーニングカリキュラムを今後組んでいけたらと考えています。
ー(通わせる)親御さんからしても、そういうデータがあると説得力もでてきますよね。
そうですね。なので、今年は子ども達のスクールに関しては基盤づくりに専念しようかと思っています。
”挑戦”するエラシカ岐阜BSの描く未来
ーエラシカ岐阜というチームをひと言で表現するなら、どんなチームでしょうか?
”挑戦”をしつづけるチームですね。ぼくたちには、「海のない町から、ビーチサッカーを」という最大のテーマがあります。
海が無いというと一見デメリットにとらえてしまいがちですが、ぼくたちはそこをアドバンテージと捉えています。これって伸びしろしかないと思うんです。海がない街でビーチサッカーができ、そこから日本代表の選手が出たり、僕たちが全国で優勝出来たらすごいことじゃないですか。
ー岐阜にビーチコートを作るのという目標にあるんですね?
はい。ぼくたちのこの先数年のビジョンの中のひとつに、岐阜にビーチコートを作ることがあります。めちゃくちゃ大きな砂場のようなフェイクビーチというイメージなんですが、そこでみんなで裸足で色んな事ができたら楽しそうじゃないですか。ビーチサッカーに限らず、ビーチバレーやビーチヨガなどビーチスポーツ全般で使えたり、BBQなんかもできる場所にできたらと思っています。そのためには、今後大きな資金や場所が必要となるので、協力していただける方もまた増やさないといけないですね。
ー岐阜には海はないですが、川はありますから河原にビーチコートができたら面白そうですね。
(2020年)9月から「リバークリーンプロジェクト」という河原の清掃活動をスタートしました。元々はクラブの活動事業の中にリバークリーン計画はありましたが、今回のプロジェクトは選手が自ら手を上げ企画してくれました。
初めてゼロを1にする事を他の人が行い、1を2にする作業を僕がしたかもしれませんね笑今後は月に一回このリバークリーンプロジェクトを開催し続けていこうと思っています。なので理想は、そんな川の近くにビーチコートを作れたらいいなと思います。
”MY HOME IS RIVERSIDE” をテーマに清掃活動をする選手や参加者の方々
画像提供:エラシカ岐阜BS
ー最後にチームとしての目標はなんでしょう?
近い将来の目標は東海制覇、そして全国大会への出場ですね。あとは、エラシカ岐阜BSから日本代表の選手を輩出することです。それが実現できれば、その選手をみて自分たちもビーチサッカーをやろうと思ってくれる子ども達や競技者も増えると思っています。
そんな中で岐阜にはエラシカ岐阜BSというビーチサッカーチームがあるんだ!って街の人たちの誇りになるようなチームになりたいと思います。
ー常に、”挑戦”してきた鹿島さんの話やビーチサッカー、エラシカ岐阜について聞けてよかったです。エラシカ岐阜BSの今後益々のご活躍を応援しています。インタビューにご協力いただき、ありがとうございました。
【おまけ】鹿島元気さんに質問
個人的に聞きたい質問
Q.1 好きなサッカー選手は?
A. デイヴィッド・ベッカム
Q.2 好きなスポーツブランドは?
A. エラシカ岐阜BSのオリジナルブランド LOCAL FOOTBALLER
Q.3 好きな音楽は?
A. ELLEGARDEN
Q.4 好きな映画は?
A. ロード オブ ドッグタウン
Q.5 好きな本は?
A. 魔法のコンパス/西野亮廣
Q.6 好きな有名人は?
A. 堀江貴文
Q.7 座右の銘は?
A. 挑戦
Q.8 尊敬する人は?
A. チャルさん(知人のサーファー)
Q.9 きらいなことは?
A. やってもいないのに、できないと決めてしまうこと
Q.10 もし、願い事がひとつ叶うとしたら?
A. サッカーがうまくなりたい(笑)
岐阜について質問
Q.1 岐阜のおススメ観光地は?
A. 金華山
Q2. 岐阜のおススメ喫茶店は?
A. 山脈(各務原)
Q3. 岐阜のおススメ飲食店は?
A. 肴晴(玉宮)
Q.4 岐阜の好きな町は?
A. 岐阜市
Q.5 岐阜で会いたい人はいますか?
A. 岐阜でビーチスポーツをしている人
(されている方は是非鹿島さんとつながってみては?)
Q.6 岐阜で好きな有名人は?
A. 織田信長
Q.7 岐阜のお土産を渡すとしたら?
A. 百春(美濃市の日本酒)
Q.8 岐阜のすきなところは?
A. ゆるいところ
Q.9 岐阜のきらいなところは?
A. とくになし
Q.10 岐阜をひと言で言うなら?
A. ゆるい(笑)
鹿島元気さん、ご協力ありがとうございました!